生活臭

デンマークに留学していた僕の徒然なる生活臭。帰国後も誰に頼まれた訳でもなく毒にも薬にもならないことを書きます。

会社に寄せた自己紹介

が、うまくかけたので載せます。

 

4月に入社いたします。00と申します。

あれよあれよと言う間に無責任にラジオを聴くだけの生活が終わり、微力ではありますが、責任を持ってラジオを届ける立場となりました。わたしの人生にいつもきっかけをくれたラジオ。わたしはその影響力を知っています。

中学の時に電話相談をして告白する勇気をもらったのもラジオだし、その結果クラス全員に好きな子がバレたこともラジオのおかげです。誰かの人生にそっと、だけど確実にスパイスをもたらすラジオを変わらず面白くしていけるよう、全力を尽くします。ご指導、よろしくお願いいたします。

MOTTAINAI

f:id:morizocoppepan:20181204133040j:plain


某月某日

 

先日、僕がバイトの最低勤務日数を、見事3日間から1日に更新したことはまだ記憶に新しい。

 

人生で初めてコールセンターなる場所で働いてみたのだが、空気が悪いことやらなんやら、そして何より電話の持ち方をレッスンされた時には僕の心はもう決まっていた。だいたいなんなのだ電話の持ち方のレッスンって。それぐらい自由にやらせてほしい。過去に子機を頭に載せちゃった人でもいたのだろうか。肩に乗せてオウムと話すが如く話し始めた人でもいたのだろうか。それぐらい自由にやらせてほしい。自由にやらせた結果がそれらだったら本当にごめんなさい。

 

さて、定期的な収入がなければ日々の生活は苦しい。

そこで単発のチラシの折り込みのバイトを始めた。折り込まれたチラシをひたぶるに封筒に入れまくる。なんと頭を使わなくていい作業だろうか。

黙々と一人で手をあくせくと動かすような単純作業は嫌いではないのだが、その際にいつも考えてしまうことがある。そう、「耳がもったいない。」ということだ。

 

世は僕の耳を様々なサービスが奪い合う群雄割拠の時代である。youtube、radiko、Apple Music、Netflix、Amazon Prime、雨音、異性の甘いささやきエトセトラ。読書をする以外で、僕の耳に暇が許されることなどないのだ。それにも関わらずこの仕事は平気で5時間、耳にお暇を出してきやがるのだ。単純作業の際に音楽やラジオが聴けたらどんなに仕事が捗るか。本当に耳がもったいない。

 

世はコンテンツ時代であり、世間のサービスは人の時間を奪い合っているなんて言われているが、もっとミクロで見れないのかしらんと思う。ラジオや音楽、雨音が奪い合っているのは耳の時間、動画コンテンツや読書が奪い合っているのは目の時間、ご飯が奪ってるのは味覚の時間。そう考えてみると、我が身体の中にはまだ未開拓な部分がたくさんあるのではないだろうか。

 

星新一の作品の中に、僕が大好きな「宣伝の時代」と言う作品がある。個人が自分の「あらゆる反応」を広告媒体として売る世界が描かれている。くしゃみをしたら風邪薬の商品の名前を口ずさむ、あくびをしたら栄養剤の商品の名前を口ずさむ、ような世界。体の一部だけでなく、反応すらも資本として使える時代がきたら。星新一は、そんな世界を描いた。しかしこのショートショートは以下のような文で締めくくられる。

 

「朝からさまざまな商品名を聞かされたが、すぐ忘れてしまってなんにも記憶に残っていない。人間のひめている可能性ははかりしれないが、人間のひめている適応力のほうがもっと大きいようだ。」

 

僕がいくら耳もったいねーなとか考えてみても、人間の受容キャパは限られてるんじゃないだろうか。どうなんでしょうか。

 

そんなことをぐるぐる懸命に考えながら、僕は今日も封筒にチラシを入れる。なんと頭を使う作業だろうか。

 

 

www.youtube.com

 

 星新一 宣伝の時代

 

 

こんなじゃじゃ馬扱えねーよ。

 

f:id:morizocoppepan:20181204134617j:plain

某月某日

 

どんなに努力しても自分の力ではコントロールできないものが、この世には好きな子の気持ち以外にもまだある。そう、急な便意である。英語では車をSheとか言うから以下からは便意を彼女と呼ぶ。

 

彼女とは生来付き合いが長く、世間的には幼馴染とか言うのだろうが、事あるごとに僕を苦しめてきた。よく友人に僕の遅刻を咎められるのだが、これは彼女のせいである、と言い切らせてほしい。朝早く起きて、絶対に間に合うであろうバスに乗ろうとする。すると家を出る直前に彼女は僕のお尻にストップをかける。「ギュルギュルギュルギュルー。」数分後、バスのお尻を眺めている僕がいる。

 

そうかと思い、集合場所の近くのカフェで30分前から読書をして友人を待つ。ちょうどいい時間になり「いざゆかん」と勇んで席をたつとまた、彼女が甘い顔をしながら僕を御決まりのビートで苦しめる。数分後、プンスカスタスタ歩く友人のお尻に平謝りな僕がいる。

 

このくらいなら、かまってちゃんの彼女の行動も可愛いもんだとまだ許せる。しかし某日、屈辱的な出来事があった。これだけは許せない。それは、風呂に浸かっている最中に彼女が現れた時のことだった。これが本当の女の子とかだったら鼻の下も3メートルは伸びると思うが、何しろ便意である。僕は風呂から飛び出し、素っ裸で籠り始める。禊を行ったばかりの僕に、これ以上の屈辱が果たしてあるだろうか。

 

風呂に浸かった後のこの屈辱、誰か他にも味わったことがないかとググってみると、某知恵袋には同じ悩みを抱えた同志たちが集っていた。しかし、誰もこの現象の名前を知らない。そこで調査を続けると、なんと「書店に寄ると便意がこみ上げてくる現象」に名前がついていた。そう、「青木まりこ」現象である。これは一般人の青木まりこなる女性の投書への反響が大きかったことから彼女の名前がなぜかそのまま使われたことに由来する。ちなみに、現象の名前がつく以前にもこの話題がメディアに上がったことは存外多く、この時期のことを「青木まりこ以前」と呼ぶらしい。物々しい。

 

さて彼女は、風呂上がりの便意である。名前はまだない。漱石チックにそのまま風呂上がりの便意と名付けてもいいが、ここは自分の名前をとってこう言わせてほしい。「白井もりたか現象」と。当然、僕が名付ける前の時代は、「白井もりたか以前」となる。

 

そろそろこのだらだらとした話に結論を加えたかったのだが、タイムアップだ。彼女が僕を呼んでいる。やはり彼女には頭が上がらない。

 

 

こんなじゃじゃ馬扱えねーよ。

 

 

 

 

 

何も言わなくてもいい。

最近観た映画の話ですが、ネタバレはないです。

 

某月某日

 

すごいものを見た。どう思ったかなんて、言わなくていい。そこにはただ恍惚な表情を浮かべた僕がいるだけだ。いや実はただ恍惚と言いたいだけの腰を抜かしてアホ面な僕がいただけだ。

 

11月9日に公開された映画「ボヘミアンラプソディー」を見に行った。もともとクイーンは知ってはいたものの、ちゃんと聴き始めたのはデンマークにいた頃に遡る。過去に書いた話に登場した僕の居候先のデンマーク人の友人が、「デンマーク人はテスト前にはいつでもこれを聞くんだ。」とアンダープレッシャーを聞かせてくれた。正直彼の悲痛な叫びともとれない歌声が邪魔をしていたが、それにも負けないほどフレディの声は綺麗でまっすぐ僕の心に飛び込んで来たことを覚えている。

 

ボヘミアンラプソディーを見に行くと決めた日は、朝から何だかそわそわしっぱなしだった。この感覚は映画を観に行くものではない、大好きなバンドのライブをみに行く前の感覚に近い。映画の内容ももちろん素晴らしかったのだが、やはり1985年のLive AIDのシーンには心躍った。フレディが発声練習で観客を盛り上げた時、僕は本当にそのライブの中にいた。フレディの声が遠くから聞こえて来て、「やばい、次はクイーンだから早く行かなきゃ!」と駆け出した自分が確実にそこにはいた。

 

フレディ、クイーンのメンバー、スタッフ、観客、そして僕。会場にいる全員が笑顔で、同じ時間を共有していた。極上だ。

 

ライブが終わった。会場が明るくなる。どでかいスクリーンを前に、腰を抜かしてアホヅラの僕がいる。

 

なんとも言えない充足感があり、一緒に見に行った両親と目が合うと、僕たちは無言で堅い握手を交わした。どう思ったかなんて、言わなくていい。

 

 

Live AIDでのQueen

youtu.be

僕が大好きな曲「Fat Bottomed Girls」

初めて知ったのは高校の時にどハマりしたGleeバージョンから。

youtu.be

今回一番感動した「Radio GaGa」

ラジオ好きの僕はこの歌詞にどうしても泣いてしまう。

youtu.be

 

 

某月の生活草

デンマークとはさして関係ありませんが、

内定先に働くまでの半年間どんな生活をしていたか毎月報告してくれと言われましたので、

せっかくなのでここにも記します。

 

読んだからといって全く得しません。

 

好きなものや失敗談をつらつら書き続けるだけです。

 

某月某日

内定式でした。式に向かう前、今年の4月から半年間お世話になっていたバイト先にご挨拶に行くと、前日のイベントで残った大量の柿を持たされました。初めての内定式であり、何か持って行った方がいいのかしらん、という私と、とにかく70個入りダンボールが5箱くらい残っている柿を少しでも減らしたいという彼らの利害が一致したのです。半蔵門から有楽町へ向かう道、少し後悔しました。柿農家の息子でもなんでもないのにこんな大量の柿持っていってご迷惑にならないだろうかとか柿関係の変なあだ名をつけられないかなんやら。右手に抱えた柿70個の重みとともに正直私の気持ちは重くなっていきました。

結果として、社員の方からも同期の方からも喜んでいただけた?ようでしたが、実際のところ内定式の手土産としてどうだったのでしょう。味はどうだったのでしょう。あとから色々考えてしまう私は苦悶の表情で日々をすごしてしまいます。そう、まるで渋柿を食べたときのように。失礼いたしました。

 

某月某日

ただただ好きなものの話をします。

 九州三国志プレゼンツ「KING OF PRO-WRESTLING」10.8両国大会をネット配信で観戦しました。プロレスにお熱なのはここ最近でまだまだ勉強中の若輩者ですが、最初のきっかけはくりぃむしちゅーのオールナイトニッポンでした。二人のトークからプロレスを興味半分で見始めたところどっぷりハマってしまった自分がいました。ラジオからの影響で好きなものの幅が増えることは多々あり、10.17にはCreepy Nutsのライブを見てきました。会場にはラジオネタを叫んでる方ばかりで、ラジオの影響力を思い知らされました。
 さて、話は10.8両国大会に戻ります。もう事件が起こりすぎてパソコンを前に一人でビールを片手にワーキャー言っていたのですが、個人的に一番熱かったのはプロレスイデオロギー闘争でばちばちやっていた棚橋選手がケニーオメガ選手にかけた一言です。棚橋選手は2000年代のプロレス冬の時代を支えてきたエースですが今41歳。ケニー選手は最も栄光のあるベルトを冠している脂の乗り切った35歳。

 ケニー選手のド派手な技ばかりで大怪我のリスクも伴うプロレスを下品だし大嫌いだと言っていた棚橋選手が、リングに上がりケニー選手へ一言。「ケニー、お前、賞味期限切れだよ。」こんなこと続けてたらお客さんもお腹いっぱいすぎて飽きちゃうと。怪我を重ね、年齢的にもエースとして終わったと言われていた棚橋選手がこの一言をいうからこそ、痺れるのです。あー、かっこいい!かっこいい!

 棚橋弘至vsケニー・オメガは2019年のイッテンヨン東京ドーム大会です!私も会場に向かいます。学を疑われる語彙の乏しさ覚悟で言いますが、嬉しい!楽しみ!大好き!ドリカムを批判しているわけではありません。

 一人で盛り上がってしまいました、失礼いたしました。

 

 

今回は以上です。

 

悪魔的なそれ。

一度それに手を出してしまったら、もうそれなしでは生きていけない的なお薬がある。

親類のものからは気をつけよと十二分に注意が行き、周囲からはやめておけと口が酸っぱくなるほど言われたが、やはりその快感を求め、僕は手を出してしまう。

 

まさにそれと同じような感覚なのだが、

 

カミソリで髭を剃ってからというものの、もう電動の髭剃りには戻ることができない。

 

剃り残しができてしまう電動のものには以前から不満を抱いていたのだが、デンマークにて充電する際に変換器について考慮しないでコンセントをつないだ瞬間、バチッと奇怪な電気音がなり、そいつはお陀仏となった。仕方なく、近所で買ったカミソリに手を伸ばす。

 

・・・・・んっ?

 

初めて恐る恐るカミソリを顎の上で自由に走らせ、水で洗い流した後のあの肌の感覚を僕は忘れることができない。それはまるで、シルクのマフラーのような柔軟さを兼ね備えていたし、さらには雑巾をかけたばかりのフローリングの艶やかさそのものであった。顎きもちい。あぁ、ずっと触ってたいひいひいい。

 

 

 

留学中、髭を剃ることがめんどくさいのでついつい無精髭が伸び続けてしまうことは、もはやあるあるネタの中でも定番の類に入るものである。実際私も、SNSサイトに自分の写真が載ると、友人や家族から、「髭ね。あるある。」「こきたないよ。あるある。」なんて言われたことを何度か記憶している。

 

しかし私は、親に何度、きたないよと言われても、ゆめゆめ髭を剃らなかった。バイト先の中国人のおばさんに、何度デンマーク語で言われても、断固として髭を剃らなかった。いやそもそも何言ってるか理解できなかった。デンマーク語が通じないなら中国語で、みたいな感じで話しかけられても困る。

 

まぁそれはそれとして、

 

 

俺は今、高らかにこう叫ぶ。

 

髭を伸ばすことの価値は、髭を剃ることにある、と。

 

髭を剃った後の爽快感がやめられない。あと顎のもちもち感。あれを味わうためなら、何度でも僕は髭を伸ばそう。プールへの飛び込みも、より高いところから飛び降りる方が気持ちいいように、髭もよりフサフサなところを剃っていきたい。

 

松尾スズキの「大人失格」の一節より、

仕事を辞めた次の日の朝を味わうためなら、就職する価値もある。

髭剃りも、それと一緒。

 

 

親や周りのものに何度言われても、

僕は髭を伸ばしてしまうし、カミソリを手に取ってしまう。

そう、それは、悪魔的な気持ち良さなんだ・・・。

愛くるしいエレベーター。

道端で拾った子犬を家に連れてくる。

家で飼いたいと言うが母親にそんな余裕はないと言われ捨ててきなさいと言われる。

僕はごめんよ犬、と言いながら彼を道端に置いて行こうとする。

すると犬はワンワンと吠えて僕のことを追ってくる。

 

僕は「なんで追ってきちゃうんだよ、うちでは飼えないって言ったろ!」

 

と、怒りつつもなんだか追ってきてくれて嬉しいけど飼えないからどうしようもないみたいな複雑な気持ちになりながらそれを何度か繰り返す。バカだなぁ、お前、また来ちゃったのか、って言いながらやっぱ抱きしめて家に持ち帰っちゃうみたいな。

 

こんなシーンに子供の頃から憧れていた。

 

我が家族は犬も猫も飼ったことはない。僕の記憶はどこまでもおぼろげなのだが、家族の一員に唯一人間以外でなったとすれば姉が飼い出した二匹のうさぎくらいである。

 

まぁそれはそれとして、僕はその憧れのシーンと言うかその感情を、このデンマークの地で体験することになる。

 

 

 

我が寮にはエレベーターが3つあり、そのうちの2つだけが洗濯機や乾燥機のある地下に行くことができる。一番左のは地下に行くことができない。

 

洗濯機は4つしかなく、だいたい故障しているので使えるのは2つくらいだ。それを7階もある学生寮で共有するとなればそれはもう死に物狂いで自分の順番を奪取しなければならない。前の人の洗濯を待ちながら服や洗剤の準備を整える1時間は、甲子園に向けて備える高校球児の3年間となんら変わらない。いやそんなことはないですすいません。

 

前の人の洗濯が終わる5分前に僕はエレベーターのボタンを押す。

すると必ず、あいつが来る。そう、一番左のエレベーターだ。こいつは地下にはいかない。こいつがいる限り僕のフロアーには他のエレベーターは来れない。僕はそいつに乗ることもできず、他の人がこのエレベーターを呼び寄せて他のエレベーターが来るのを待つしかない。こうしている間にも、ライバルたちは洗濯機に向かって一歩一歩着実に前進していることだろう。このイライラは甲子園前に怪我をしてしまって試合に間に合うかどうか微妙でただチームメイトの練習を見守るしかないエースピッチャーのそれとなんら変わりない。

 

しかし僕の期待とは裏腹に、何度押してもやっぱり一番左のエレベーターが来る。なんでお前が来るんだよ、と心の中で深い憎しみと苛立ちが湧いてきつつも、僕は同時にそいつに愛着を感じ始めていることに驚きを隠せない。この感情は冒頭に述べた拾ってきた犬に抱くそれと同じであり、まさに僕が憧れていたものである。これって生き物だけに抱く感情じゃなかったんだなぁ、僕は今、その感情をエレベータにーに抱いている。

 

そして毎回こう思ってしまう。

 

「バカだなぁ、お前。また来ちゃったのか。」

 

 

 

そんなことを繰り返し、僕はもう1時間洗濯機を待たなければいけなくなるのだ。

 

 

もう来ないでほしいと思いながらも、あの一番左のエレベーターが僕の元にまた戻ってくることを、僕は今もボタンを押しながら期待している。

 

 

 

骨休めの回です。

エミールの家から引っ越してきて新しい寮に移ってからの話。