孤独な連帯感
浪人時代のチューターに、「孤独の連帯感」という言葉を教えてもらった。彼は浪人時代、誰と話すこともなくひたぶるに受験勉強に励んでいた。そして同じように孤立している、いや孤高な浪人生たちの間に、運動部独特の連帯感のようなものがあったという。誰も互いに話しかけることはなくとも。
それを彼は、「孤独の連帯感」と呼んだ。
あの日コペンハーゲンの空港で、僕はそれを感じた。
東南アジアに一人でバックパックの旅をしたりしときながらとんでもないビビリ症の僕は、コペンハーゲン到着の飛行機が夜9時と知ってかなりビビった。何せ行ったこともない、全く知らない街に夜到着するのだ。キャリーバック1つを引きずり、背中には大きなバックパック、前方にも小さなリュックサックを抱え、足元のおぼつかないペンギンのように歩くことになるだろう。
しかも、のちに話すことになると思うが、その時僕には帰る場所がなかった。いろいろあって寮の予約に失敗したのです!!そのため家が見つかるまではホステル暮らしをしなければならなかった。
まぁとにかく、知らない街を大きなバックを持って夜中に歩くとか怖いもんってことで、日本にいた時から到着初日は空港泊と決めていた。
...ところがどっこい到着して夜の21時にもかかわらずデンマークの、
え、今お昼なのかしらん?
と疑問に思うレベルの明るさに驚愕。そうか、デンマークって北欧にあるっていうぐらいだから北だよね、夏は日照時間とっても長いということにきてから気づく。
だがしかしホステルなんかその日とってないし、少し空港泊に憧れも抱いていた僕は空港泊を強行することとなる。いやそもそも空港泊を強行ってなんだ、空港泊って空港に泊まらざるをえない理由があるから致し方なく行うものであって自ら進んでするものじゃないと思うんだけどなぁ、と今なら思エル。
さて、適当なソファを見つけ、荷物を取られないように足に挟みつつ、なんだかwifiもつながらないし持ってきた本も全部読んじゃったので眠ることにしよう、ってことで22:30に眠る努力を始める。
「俺/私、どこでも寝れちゃいます!」
っていうタイプでは全くない僕、ふかふかのベットと枕がないと眠れないの。
さっきから時計を何回見ても5分ぐらいしか進んでいない。ね、眠れない。
かといって一緒に話す人もいない、僕は一人なのだ。独り。。。。
ふっと周りを見渡すと、そこにはなんとか劣悪な環境でも眠ろうと努力する同志たちが。(空港泊の旅行者たちである。そこまで劣悪じゃないんだけどね、逆にトランポリンみたいなマットがあって子供たちと跳ねていたい気分でした。)
僕はその瞬間にあの浪人時代のチューターの一言を想起した。
「孤独の連帯感」
誰に話しかけることもなく、ただひたすらに一つの目標に向かっていく。
浪人時代なら合格に、そして今なら、ぐっすりと、睡眠へ。
これこそが、孤独の連帯感だ!そこには確実にあった、孤独の連帯感だ!
そう思った瞬間に、俺は独りでも仲間がいる、と急に安心感が湧いてきた。
次の朝、目がさめると僕は、アラブ系の大家族に囲まれていて、浅くはあるが、しっかりと眠ることができていた。
「君ハ孤独ジャナイ、コレカラハ僕ラノFamilyトシテ、連帯シテイコウ!」
大家族の毛むくじゃらのパパの寝顔は、僕にそうにっこり笑っているようだった。
都合のいい解釈。