生活臭

デンマークに留学していた僕の徒然なる生活臭。帰国後も誰に頼まれた訳でもなく毒にも薬にもならないことを書きます。

愛くるしいエレベーター。

道端で拾った子犬を家に連れてくる。

家で飼いたいと言うが母親にそんな余裕はないと言われ捨ててきなさいと言われる。

僕はごめんよ犬、と言いながら彼を道端に置いて行こうとする。

すると犬はワンワンと吠えて僕のことを追ってくる。

 

僕は「なんで追ってきちゃうんだよ、うちでは飼えないって言ったろ!」

 

と、怒りつつもなんだか追ってきてくれて嬉しいけど飼えないからどうしようもないみたいな複雑な気持ちになりながらそれを何度か繰り返す。バカだなぁ、お前、また来ちゃったのか、って言いながらやっぱ抱きしめて家に持ち帰っちゃうみたいな。

 

こんなシーンに子供の頃から憧れていた。

 

我が家族は犬も猫も飼ったことはない。僕の記憶はどこまでもおぼろげなのだが、家族の一員に唯一人間以外でなったとすれば姉が飼い出した二匹のうさぎくらいである。

 

まぁそれはそれとして、僕はその憧れのシーンと言うかその感情を、このデンマークの地で体験することになる。

 

 

 

我が寮にはエレベーターが3つあり、そのうちの2つだけが洗濯機や乾燥機のある地下に行くことができる。一番左のは地下に行くことができない。

 

洗濯機は4つしかなく、だいたい故障しているので使えるのは2つくらいだ。それを7階もある学生寮で共有するとなればそれはもう死に物狂いで自分の順番を奪取しなければならない。前の人の洗濯を待ちながら服や洗剤の準備を整える1時間は、甲子園に向けて備える高校球児の3年間となんら変わらない。いやそんなことはないですすいません。

 

前の人の洗濯が終わる5分前に僕はエレベーターのボタンを押す。

すると必ず、あいつが来る。そう、一番左のエレベーターだ。こいつは地下にはいかない。こいつがいる限り僕のフロアーには他のエレベーターは来れない。僕はそいつに乗ることもできず、他の人がこのエレベーターを呼び寄せて他のエレベーターが来るのを待つしかない。こうしている間にも、ライバルたちは洗濯機に向かって一歩一歩着実に前進していることだろう。このイライラは甲子園前に怪我をしてしまって試合に間に合うかどうか微妙でただチームメイトの練習を見守るしかないエースピッチャーのそれとなんら変わりない。

 

しかし僕の期待とは裏腹に、何度押してもやっぱり一番左のエレベーターが来る。なんでお前が来るんだよ、と心の中で深い憎しみと苛立ちが湧いてきつつも、僕は同時にそいつに愛着を感じ始めていることに驚きを隠せない。この感情は冒頭に述べた拾ってきた犬に抱くそれと同じであり、まさに僕が憧れていたものである。これって生き物だけに抱く感情じゃなかったんだなぁ、僕は今、その感情をエレベータにーに抱いている。

 

そして毎回こう思ってしまう。

 

「バカだなぁ、お前。また来ちゃったのか。」

 

 

 

そんなことを繰り返し、僕はもう1時間洗濯機を待たなければいけなくなるのだ。

 

 

もう来ないでほしいと思いながらも、あの一番左のエレベーターが僕の元にまた戻ってくることを、僕は今もボタンを押しながら期待している。

 

 

 

骨休めの回です。

エミールの家から引っ越してきて新しい寮に移ってからの話。