生活臭

デンマークに留学していた僕の徒然なる生活臭。帰国後も誰に頼まれた訳でもなく毒にも薬にもならないことを書きます。

今、ここに居ります。

居候とは「居(お)ります」の意で、近世に同居人を公文書に記す際の肩書に用いたことに始まる。

 

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

 

 

ホステルを追い出されてから1か月後、僕の家無し状況を知っている日本にいる友人から何度か、「今はどこに住んでるの?」と心配の連絡が入った。

 

僕はその時、このように答えていた。

 

「身長193センチのデンマーク人の家に居(お)ります。」

 

 

そう、僕はホステルを出てから家が見つかるまで、デンマーク人のお宅になんと3か月も居候させていただいたのだった。今回はその時のお話。

 

 

コペンハーゲンのノーマルの天気は暗鬱とした曇りだ。あの日はそれに加えて少し雨も降っていたように思う。新しく来た留学生向けの開校式が行われていて、僕はその日あったばかりの数人の友達と来ていた。ホステルでは自炊もできず、外食もできるだけしないように心がけていて腹ペコな僕の専らの関心は、フリーで配られていたホットドックである。いやぁ、二回も並んじゃったなぁ。その日あった友人にこいつがめついと思われたかもなぁ。でも背に腹はかえられぬしなぁ。

 

 

「オ前日本人ト違ウカ?」

 

ホットドックを貪り食っていたその時、ある男が見下すように僕に話しかけてきた。(あ、もちろん英語なんだけど日本語ならこんな感じかなって!あと身長が193センチあるから僕と目を合わす時に彼は見下さざるをえないだけなんだけどね!)

 

彼の名はエミール。生粋のデンマーク人であり、高校卒業後に山梨で1年間ボランティアをしていたらしい。今はコペンハーゲン大学の学生。日本語は話せないが日本語を話しているということは認識できるらしい。

 

これが、未来の同居人との出会いである。

 

(この先から落語調で読んでください。)

まぁそこからなんやかんやあって一緒に飲みに行ったり遊んでいるうちにこれが仲良くなりましてですね、コペンハーゲンで必須の自転車を買うのを手伝ってくれまいかとお願いしたら、昔使ってたけど小さくなったやつがあるから貸してやるよって貸していただいたりですね、本当にありがたい限りでございました。エミールから借りた自転車それでも僕には高くて、足地面につかなかったんですけどね。

 

 

さて、そんな折、僕はホステルを出て行かなければならないことが判明。肝心の家探しは大学の住宅支援機関が全く役に立たず、facebookグループで10件ほど気になった物件に連絡してみましたが、そのうち半数以上が詐欺物件。

 

家見せてと言うと返信が皆一様

 

「見せたいんだけどさ、いま仕事の都合で海外にいてるから見せられんのよね。デポジットと一ヶ月分の家賃払ってくれたら鍵郵送するわ!」

 

 

ホステルを残り3日ででなければならず、家探しにも心が折れかかっていた時、たまたまエミールの家に行く機会がありました。家にお邪魔するとこれはびっくり、なんつーでかい家、なんつーでかい部屋。なんつーいいロケーション。なんつーが三拍子揃いました。いやちょっと違うか。

 

まぁ、そんな感じで部屋を見せていただくと、1つ全く使われていないようなお部屋があるのでした。帰り道、僕はエミールに隠しても隠しきれない下心満載で聞きました、「あ、あの〜、部屋、でかい、ね。誰かもう一人住むことのできるスペースは、なきにしもあらずだよね?」

 

もしそこに弁護士がいたら当然「異議あり!明らかな誘導尋問です!裁判長」と言われて「意義を認めます。」とか言われそうだなとは思っていたのですが、家に帰ってお母さんに相談していただけるとのこと。そこからすぐに、エミールの部屋に布団を敷いて寝るのであればオーケーというメールをもらい住まわせていただけることになりました。家賃の相談をすると、お金なんか払わなくていいから日本料理作ってと言われました。もう、その、本当に本当に、ありがとうございます。感謝してもしきれません。

 

 

 

ホステルから彼の家に向かうその日、僕はなんだかとっても多幸感に満ちていました。それは、僕にこれから暮らす場所があるというありがたさからだったかもしれません。エミールと彼のママへの感謝ももちろんありました。そして、どこに住んでいるのかと聞かれた時にすぐに答えられない自分、いわば肩書き?家書き?を持たない自分を卒業できたからだったかもしれません。

 

 

僕は、「居候」という立派な肩書きを、ようやく手に入れることができたのでした。

 

 

 

ちゃんちゃん

 

天国でぐっすりと。

留学が始まってすぐ、同じく交換留学に来ている日本人学生の間で僕のことがある理由で知られるようになる。

 

「東北からきた白井君って知ってる?」

 

「ああ、あの家無き子でしょ!」

 

こんな形で知られたくはなかった、初めてあった人に「あ、僕、家ない人です。」と言うとだいたい「あーあの人ね。」と言う既に承知してます顔をされる。

 

 

そう、僕は留学前の寮の申し込みに失敗し、1年間住むところ未定のままデンマークに乗り込むことになったのだ。日本から探すより到着後に現地で探す方が見つかるだろうということでコペンハーゲンで家探しをすることを決意。生まれて21年実家暮らしの僕にとって、初・一人暮らし、初・自炊、初・家探ししかもin 海外で、

 

まさに、初めての盛り合わせ、初めてのごった煮、初めて on 初めて、と言う状態なのであった

 

家が見つかるまでは、ホステルに滞在することになる。

同じホステルにいつチェックアウトするかもわからないまま宿泊したことがないため、結構ハラハラドキドキであった。

 

知人にこの話をしたところ、行く前に「Hostel」って映画みるといいよ、とのこと。

 

 

どこぞのHostelを舞台に繰り広げられるラブロマンスだと期待していた。デンマークについたらその主人公は僕になり、ヒロインは北欧美人の黄金色の髪の乙女になることを思い描いていた。

 

しかし、その空想は一瞬にして打ち砕かれたのであった。

 

 

その映画は、

 

ゴリゴリのスプラッター映画だったのである。

 

 

東欧のあるホステルに行けば絶世の美女とオイシイ思いができると聞き旅に出る3人の男。噂通り3人はオイシイ思いをすることになるが、次の日、1人が帰ってこないことに気づく。そしてその次の日もまた1人が帰ってこない。何とその街は、町ぐるみで人身売買をして、買ったものは好きなようにそれを解体していいと言う恐るべきことを行っていたのだった。。。。

 

 

僕、怖いのと痛いのが苦手です。拷問シーンは手で目をふさぎながらなんとか乗り切りました。

 

 

背筋に走る冷たい感覚。

ふと予約したホステルの名前を見ると、

 

何と、「Hostel Sleep in Heaven」

 

純粋に思いました、あれ、僕は召されるのかな?

 

 

 

そんなこんなで過ごしたホステルでの2週間を僕は忘れません。キッチンがないので自炊はできません。物価の高いコペンハーゲンで毎日外食はできずバナナだけで乗り切った日もありました。食パンとインスタントで作った味噌汁の相性の悪さに泣きました。風邪をひいてしまったため寝ていると、朝は8時から爆音の工事がアップテンポで始まります。

 

ドミトリー部屋のため毎日10人くらいとともに寝ていました。ちょっと仲良くなってもすぐに次の目的地へ友は旅立ちます。目的地がある人はいいなぁ〜、誰か僕に目的地をください!ていうか滞在場所をください!無滞在場所人間白井です。

 

 

でもやっぱ、毎日ルームメイトが変わるわけですから、友達も増えるわけですね。

 

どこに住んでるんだっけ?って聞かれると

 

毎日変わる10人のルームメイトと楽しく暮らしてるよ、なんて意味深にミステリアスなオーラ満開で言えちゃうわけです。

 

キッツイこともあったけど、なかなか充実した2週間でしたね。美女の誘惑も誰かが消えたりすることもなかったですけど。

 

 

 

 

ま、滞在延長しようとしたらもうこれ以上空いてないので2週目以降は出て行って何て言われちゃって追い出されたんですけどね!!

 

 

家なき子の生活は続く。

 

 

孤独な連帯感

 

浪人時代のチューターに、「孤独の連帯感」という言葉を教えてもらった。彼は浪人時代、誰と話すこともなくひたぶるに受験勉強に励んでいた。そして同じように孤立している、いや孤高な浪人生たちの間に、運動部独特の連帯感のようなものがあったという。誰も互いに話しかけることはなくとも。

 

それを彼は、「孤独の連帯感」と呼んだ。

 

あの日コペンハーゲンの空港で、僕はそれを感じた。

 

東南アジアに一人でバックパックの旅をしたりしときながらとんでもないビビリ症の僕は、コペンハーゲン到着の飛行機が夜9時と知ってかなりビビった。何せ行ったこともない、全く知らない街に夜到着するのだ。キャリーバック1つを引きずり、背中には大きなバックパック、前方にも小さなリュックサックを抱え、足元のおぼつかないペンギンのように歩くことになるだろう。

 

しかも、のちに話すことになると思うが、その時僕には帰る場所がなかった。いろいろあって寮の予約に失敗したのです!!そのため家が見つかるまではホステル暮らしをしなければならなかった。

 

まぁとにかく、知らない街を大きなバックを持って夜中に歩くとか怖いもんってことで、日本にいた時から到着初日は空港泊と決めていた。

 

...ところがどっこい到着して夜の21時にもかかわらずデンマークの、

 

え、今お昼なのかしらん?

 

と疑問に思うレベルの明るさに驚愕。そうか、デンマークって北欧にあるっていうぐらいだから北だよね、夏は日照時間とっても長いということにきてから気づく。

 

だがしかしホステルなんかその日とってないし、少し空港泊に憧れも抱いていた僕は空港泊を強行することとなる。いやそもそも空港泊を強行ってなんだ、空港泊って空港に泊まらざるをえない理由があるから致し方なく行うものであって自ら進んでするものじゃないと思うんだけどなぁ、と今なら思エル。

 

 

 

さて、適当なソファを見つけ、荷物を取られないように足に挟みつつ、なんだかwifiもつながらないし持ってきた本も全部読んじゃったので眠ることにしよう、ってことで22:30に眠る努力を始める。

 

「俺/私、どこでも寝れちゃいます!」

 

っていうタイプでは全くない僕、ふかふかのベットと枕がないと眠れないの。

 

さっきから時計を何回見ても5分ぐらいしか進んでいない。ね、眠れない。

 

かといって一緒に話す人もいない、僕は一人なのだ。独り。。。。

 

 

ふっと周りを見渡すと、そこにはなんとか劣悪な環境でも眠ろうと努力する同志たちが。(空港泊の旅行者たちである。そこまで劣悪じゃないんだけどね、逆にトランポリンみたいなマットがあって子供たちと跳ねていたい気分でした。)

 

僕はその瞬間にあの浪人時代のチューターの一言を想起した。

「孤独の連帯感」

 

誰に話しかけることもなく、ただひたすらに一つの目標に向かっていく。

浪人時代なら合格に、そして今なら、ぐっすりと、睡眠へ。

 

これこそが、孤独の連帯感だ!そこには確実にあった、孤独の連帯感だ!

 

そう思った瞬間に、俺は独りでも仲間がいる、と急に安心感が湧いてきた。

 

 

次の朝、目がさめると僕は、アラブ系の大家族に囲まれていて、浅くはあるが、しっかりと眠ることができていた。

 

「君ハ孤独ジャナイ、コレカラハ僕ラノFamilyトシテ、連帯シテイコウ!」

 

大家族の毛むくじゃらのパパの寝顔は、僕にそうにっこり笑っているようだった。

 

 

都合のいい解釈。

 

 

 

 

書き出し。

 

去年のまだ半袖でも十分過ごせる8月の終わりに、僕はこの小さいけれどイカした街コペンハーゲンにたどり着いた。大量の荷物と、新生活への期待、これから住むところを探さなければいけない不安を抱えて。



今、あの時から10ヶ月が過ぎ、僕はもうそろそろ日本に帰る。

 

日々新しいことが自分に、そして自分の周りで起きている。

日記をつけようかと思ったけど、何かを継続してやっていくのかが苦手な僕は、案の定三日で飽きてしまった。

 

帰国まで一ヶ月を切り、何か目に見えるものを残したいと思うようになる。

備忘録のような日記はダメだ、僕は承認欲求がおそらく人のそれよりずば抜けて高い。友達といるときに、意味もなく奇声をあげたり奇行に走ったりする。面白かったら笑ってほしい。つまらなかったら突っ込んでほしい。

 

だから、誰かに見られることを意識して書けば、続けられるんじゃないだろうか。誰かに後でコメントでもなんでも言ってもらえれば、続けられるんじゃないだろうか。



ということで僕がコペンハーゲンにいる間に起こったなかなか面白いこともやらかしてしまったこともぎゅっとまとめて書いていきたい。なんか、こう、エッセイみたいな感じで。いや最近宮沢章夫とか松尾スズキのエッセイを読んで影響を受けて兼ねてから書いてみたかったというのもある。だって面白そうだもの。

 

今後おそらく書いていくであろう話が、これだ。。。

 

2.空港泊

3.Hostel Sleep Heaven

4.引越し①デンマーク人の家に転がり込む

5.同居の苦悩①勉強場所がない

6.Lokomotiveとの出会い

8.同居の苦悩②エミールの料理

9.床屋、デンマーク人の髪型にしてください

10.コペンハーゲンのバー

11.同居の苦悩③エミール酔っ払う

12.運動後のビール

13.同居の苦悩④エミールとのケンカ

14.おじさんとの出会い

15.引越し②皿の配置を考えるのすら楽しい

16.新しいルームメイト

17.クリスマスパーティ

18.ソフィアン、自転車盗まれる

19.全編デンマーク語の演劇観劇

20.本当に話してる?デンマーク語

21.日本食料理屋でバイト

22.夜は暗くあってほしい



今の所の予定はこれである。

また何か付け足したいことがあったら書きたい。

 

1日1個、楽しさも苦さも酸っぱさも、思い出していきたい。